あきない世傳 金と銀2 桔梗屋の買収が揉める理由

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大坂呉服仲間の真澄屋が天満組呉服仲間の桔梗屋を買収

真澄屋とは浜羽二重の販売にイチャモンをつけた呉服屋

NHKBS時代劇「あきない世傳(せいでん)金と銀2」では、天満組呉服仲間の桔梗屋が大坂呉服仲間の真澄屋に買収されるシーンがあります。

桔梗屋の桔梗屋孫六(吉見一豊)には跡目がいないため身代を売りに出し、五鈴屋の浜羽二重の販売にいちゃもんをつけたあの真澄屋(山西惇)が買い手となりますが、買収条件を巡って交渉がもつれだすというあらすじです。

店の買収について私人間の契約に該当することは、今も昔も同じです。政府や幕府さらには第三者が口を出すことではないのですが、「あきない世傳(せいでん)金と銀2」の主人公である幸(小芝風花)は、五鈴屋を代表してあえて口を出すことにします。

屋敷売り・見世物売りの桔梗屋

桔梗屋と真澄屋では販売方式が異なる

では真澄屋による桔梗屋の買収はなぜ揉めたのでしょうか?理由は2つの店は同じ呉服屋で似たような絹織物を扱ってはいるものの、販売方法が異なっていたからです。

桔梗屋の販売方式は屋敷売り・見世物売りであり、桔梗屋の販売方式は店前現銀売りです。

屋敷売り・見世物売り(桔梗屋の販売方式)

屋敷売り(やしきうり)

屋敷売りとは呉服商の主人・番頭・手代たちが反物を担いで、得意先の家を一軒ずつ回り、客の家で反物を販売する方式です。得意客の家に上がって商売をするためには長年の信用が必要ですが、客の好みが把握しやすくなります。

また反物を販売したときの支払いは盆と暮れの節季払い、つまり掛け売りとなります。

見世物売り(みせものうり)

見世物売りとは呉服商の主人・番頭・手代たちが持ち歩くものが反物ではなく、完成した着物になります。完成した着物はサンプルであり、そのサンプルで使われている反物を販売することになります。

販売した反物の支払い方法は、屋敷売りと同じく節季払いです。

店前現銀売り(真澄屋の販売方式)

店前現銀売り(たなさきげんぎんうり)とは、客は店に並んでいる反物を目当てに来店し、その場で販売する方式のことです。反物を販売が成立した場合、その場で客から現銀(現金)を受け取り、商品を引き渡すことになります。

店前現銀売りの真澄屋

店前現銀売りの元祖は江戸・越後屋の三井高利

店前現銀売りの販売方法は、江戸の呉服商・越後屋の三井高利が始めたとされます。

大坂では17世紀後半に高麗橋にある岩城桝屋が店前現銀売りを始めたと言われ、大坂三郷を分つように流れる大川の南側にある船場地区の一部の店でこの販売方法が採られていたようです。

大坂では棲み分けをしていた屋敷売りと店前現銀売り

一方、大川の北側にある天満組呉服仲間では、店前現銀売りの販売方法を認めておらず、桔梗屋・五鈴屋を含めてすべての呉服屋は、一部の例外を除いて「屋敷売り・見世物売り・節季払い」の商売を行なっていました。

販売方式によって顧客層が異なっていた

そもそも店前現銀売りと節季払いでは、客層が異なります。店前現銀売りは手持ちのお金だけで支払いを済むようにするため、長屋に住む奥さんたちに好まれる一方、節季払いは支払いが先に延びるため富裕な商家の旦那や武家に好まれます。

よって同じ大坂三郷に店前現銀売りの呉服屋と節季払いの呉服屋が混在していても、客層が異なるためお互いの存在を脅かすことはありませんでした。

真澄屋の企みは屋敷売りと店前現銀売りを混在させること

ただし当時の大坂三郷の呉服仲間には、販売方式について不文律があり「同じ店で店前現銀売りと節季払いの2つの販売方式を併用しないこと」です。

しかし真澄屋が企んでいることはこの不文律を犯すことです。つまり桔梗屋を買収して大川の南側で店前現銀売りの店を営む一方で、大川の北側では節季払いの店を営むことです。

この不文律を破ることに横暴を感じた桔梗屋孫六と、その同業者である天満組呉服仲間は激しく異議を唱えます。

五鈴屋が桔梗屋を買収

4,000万円の手付金

この桔梗屋と真澄屋の騒動を見かねた幸は、真澄屋の代わりに桔梗屋を買い取ることを申し出ます。

真澄屋はすでに手付金として銀二十貫(4,000万円)を桔梗屋に支払っていますので、この手付金を解消させるために、同じく銀二十貫を用意して天満組呉服仲間に供託します。

その上で幸と六代目徳兵衛は、天満組呉服仲間の前で桔梗屋を買い取ったあかつきには、これまで通りの販売方法である「屋敷売り・見世物売り・節季払い」を厳守すると誓います。

買収金額は3億5,000万円から4億円程度

五鈴屋が桔梗屋を具体的にいくらで買い取ったかは、小説版の「あきない世傳(せいでん)金と銀」(五)転流篇でも言及されていません。

ただ桔梗屋が買い取った頃の五鈴屋の年商は銀二百九十貫(5億8,000万円)で、一方の桔梗屋は奉公人の数は五鈴屋の3倍であったと記述されています。

従業員の数が3倍であることから売上も3倍であると単純化して計算すると、桔梗屋の年商は銀八百七十貫(17億4,000万円)です。

一方、小説版の「あきない世傳(せいでん)金と銀」(五)転流篇では、「五鈴屋は桔梗屋孫六のたっての願いで市価の半分で桔梗屋を買い取った」と書かれています。

顧客資産・在庫・のれん資産・負債などを引き取ることも考えると、おそらく五鈴屋が桔梗屋を買い取った額は3億5,000万円から4億円程度であったと想像できます。

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