若くして亡くなる智蔵
智蔵とは六代目・五鈴屋徳兵衛
NHKBS/BSプレミアム4Kで2025年4月6日から放送される「あきない世傳(せいでん)金と銀2」の大坂天満編に登場する人物として、松本怜生さんが扮する智蔵(ともぞう)という男性がいます。
智蔵は五鈴屋の六代目当主で、五代目当主で次兄の惣次(加藤シゲアキ)が失踪したことにより、1745(延享2)年から1750(寛延3)年までの約6年間、「五鈴屋徳兵衛」の名跡を担っていました。またこの間、主人公・幸(小芝風花)の3番目の夫でもありました。
33才のときに大量の血を吐いて急死
幸にとっては3番目の夫である智蔵との6年間が、夫婦として最も充実していました。しかし1750(寛延3)年に智蔵は庭で大量の吐血をして、桂の木の根元にうずくまった状態で亡くなります。享年33。
智蔵の死は幸が26才のときのことでした。
智蔵の死因について
柳井道善から積聚の診断を受けた智蔵
実は智蔵は以前からお腹を手で抑えられると痛みを感じるしこりがあり、五鈴屋のかかりつけ医である、秋野太作さん扮する柳井道善(やないどうぜん)から積聚(しゃくじゅ)であることが告げられていました。
「前に積聚の話をしたと思うが」
丹念にひと通り診て、柳井は穏やかな表情で店主夫婦を見た。
「身体(からだ)の中の気ぃ、ことに腹の気ぃが滞ると、色々な悪さをする。掌が赤(あこ)うなるのも、気ぃが逃げ場を探してる証(あかし)だす。酷(ひど)うなると、腹に塊を作ったりもするが、安心しなはれ、六代目はそこまで悪うない」高田郁「あきない世傳 金と銀2」(五)転流篇 角川春樹事務所 273ページより
柳井道善が智蔵に告げた積聚とはどのような病気なのでしょうか?
積聚とは?
積聚とは、東洋医学において、体内に生じる「しこり」や「腫瘍」のような塊を指します。これは、気血水(きけつすい)の流れが滞ることで生じると考えられています。
- 「積(しゃく)」:固定した硬い塊(腫瘍に近いもの)
- 「聚(じゅ)」:比較的柔らかく移動する塊(気滞や瘀血によるもの)
例えば胃に生じる積聚は、主に「胃積(いしゃく)」と呼ばれ、長期にわたる瘀血(おけつ=血流の停滞)や、気滞(きたい=気の流れの滞り)が関係していると考えられています。
智蔵の積聚は胃がんか?
しかし柳井道善の診断に反して、智蔵は大量の吐血をして亡くなります。
柳井道善の診断は東洋医学の観点から積聚ということでしたが、西洋医学の観点からすると、智蔵の病気は胃などの消化器系の内臓にできるがんだったのではないでしょうか?
江戸時代の医学について
智蔵の死から24年後に「解体新書」の出版
智蔵が亡くなったのは1750(寛延3)年です。このとき日本には、西洋医学がほとんど普及していません。
智蔵の死後、24年後の1774(安永3)年に日本で最初の本格的な西洋医学の解剖学書である「解体新書(ターヘル・アナトミア)」が、杉田玄白と前野良沢によって出版されます。
「解体新書」はそれまでの日本や中国の医学(東洋医学)では知られていなかった人体の詳細な構造や臓器の正確な位置や形・その機能などを伝えていました。
「蘭方医」でもがんの診断・治療はできなかった
「解体新書」の出版は、医学・化学・物理などの科学的思考をする、日本人科学者たちを育てる大きな要因となりましたが、ガンの治療法に関する医学書ではありません。
「解体新書」の出版に伴い、日本ではオランダ医学を学んだ「蘭方医」が出現します。それでも当時の医学の水準では、智蔵のような積聚の人がいたとしてもしても、ガンであるという診断を出して、投薬や手術などで救うことはほぼ不可能であったと考えられます。
胃がん手術はいつ頃から行われたのか?
世界初の胃がん切除手術
仮に「あきない世傳 金と銀2」の智蔵が胃がんであったとして、手術が可能になったのはいつ頃のことでしょうか?世界で初めて胃がんの切除手術が成功したのは、19世紀後半ドイツでのことです。
1881年、ドイツの外科医 テオドール・ビルロート(Theodor Billroth, 1829-1894)が世界で初めて胃がんの切除手術(胃部分切除)を成功させました。
この手術は「ビルロートI法(Billroth I operation)」と呼ばれ、胃の一部を切除し、残った胃と十二指腸を直接つなぐ方法です。その後、「ビルロートII法(Billroth II operation)」(胃と空腸を吻合する方法)も開発され、胃がん手術の基本となりました。
欧米では19世紀末になって、胃がんは「切除可能な病気」として認識されるようになります。
日本初の胃がん切除手術
では日本における胃がんではどうだったのでしょうか?1903年に日本の外科医・ 高木兼寛(たかきかねひろ)が、ビルロート法を基にした胃がん手術を日本で初めて実施します。
その後、1926年に緒方知三郎(おがたともさぶろう) が日本での胃がんの病理学的研究を進め、胃がんの診断・分類が進みました。
智蔵を治すためにはあと150年の時間が必要だった
「あきない世傳金と銀」は江戸時代中期のお話で、まだ「解体新書」によって人間の身体を科学的視点で見ることもなかった時代です。
よって智蔵の病気は西洋医学の観点で語られることはありません。智蔵の病気を治すためには、少なくとも150年のときを待たなければならないという、無情の結末に直面することになります。