あきない世傳金と銀2の留七と伝七とは
留七と伝七は五鈴屋の元・手代
NHKBS/BSプレミアム4Kで2025年4月6日から放送される「あきない世傳(せいでん)金と銀2」の大坂編に登場する人物として、留七(辻本祐樹)と伝七(虎太郎)という男性たちがいます。彼らは五鈴屋の元・手代たちです。
まだ四代目徳兵衛が五鈴屋の当主だったとき、惣次(加藤シゲアキ)が誓文払いの商売で受け取った大量の現銀を、四代目徳兵衛が廓遊びのためにこっそりと持ち出そうとしたことがありました。
このとき四代目徳兵衛が蔵から銀を持ち出す寸前に、惣次が取り押さえ事なきを得ます。取り押さえら瞬間に銀が散乱し、それを見た留七・伝七は店の売上を失ってはならないと拾い集めようとします。しかし手代たちが銀を拾い集めている様子を見た四代目徳兵衛は、「あんたらネコババしなや」と決定的な一言を言い放ちます。
このセリフに愛想を尽かした留七と伝七は、翌日、五鈴屋を暇乞い、つまり退職をします。
留七と伝七は五鈴屋の反物を扱う行商人に
五鈴屋を去ったあと、留七と伝七はどうやら船場で店前現銀売りをする呉服商の手代として奉公をしていたようです。しかし運悪く、その店前現銀売りの店も潰れてしまいます。
このとき五鈴屋は代替わりをしていて当主は智蔵こと六代目徳兵衛で、その妻である主人公・幸(小芝風花)は桔梗屋の桔梗屋孫六から2人の消息を知ることになります。
幸は留七と伝七のことを思い出して、ある販売方法を思いつきます。それは呉服の行商です。
絹織物の行商に必要な素養
幸が留七と伝七に五鈴屋の反物を持って行商に出てもらおうと考えた時、江州波村の浜羽二重の売れ行きが好調で、代わりに紬や縮緬が在庫となっていました。特にこれらの紬や縮緬の品質が劣っていたわけではなく、しかも京・大坂の上方の反物を地方の豪農など裕福な層に持ち込むと飛ぶように売れます。
ただ単価の高い絹織物の行商は、誰にでも任せられるというわけではありません。「商品知識が豊富である」、「嘘偽りのない商売ができる」「商品を持ち逃げしない」という素養や信頼が必要です。留七と伝七であれば、五鈴屋で培った経験と信用があります。彼らはまさにうってつけの人材です。
販売先を紹介してもらった留七と伝七
また幸は留七と伝七に反物の行商を委託する直前に船場の紅屋で菊栄(朝倉あき)から、ある書き付けをもらいます。それは菊栄が商っている鉄漿粉(おはぐろこ)の産地である備前国(現在の岡山県)某所に宛てたもので、「五鈴屋の反物を行商している留七と伝七は信用のおける人物である」という内容です。
つまり菊栄は幸を通して留七と伝七に鉄漿粉の製造で儲かっている人を紹介してくれたのです。
大坂を出発した彼らは備前国に到着するまでは、反物を販売することに難儀します。菊栄の紹介状を持って鉄漿粉の産地を廻ったところ、彼らはあっという間に五鈴屋から委託を受けたに二十反の反物をそれぞれ売り切ってしまいます。
江戸時代の行商
高額の絹織物の行商は例外的存在
ただ江戸時代に多く見られた一般的な行商からすると、「あきない世傳 金と銀」シリーズに登場する留七と伝七の行商はかなり例外の部類に属します。
なぜなら江戸時代の行商は天秤棒さえあれば誰でもできる商売で、留七や伝七のように商品知識や高い信用がなくても始められたからです。
また菊栄は留七と伝七のために紹介状を書いてくれましたが、身持ちが固くしかもお金持ちといった人がメインの客層ではありません。
誰でもできるようになった棒手振り
江戸時代、行商のことを大坂では「振り売り(ふりうり)」、江戸では「棒手振り(ぼてふり)」とも呼ばれていました。
江戸時代の初期では「棒手振り」の商売を始めるためには、町奉行所に金二分を納めた上で「鑑札」の交付を受ける必要がありました。しかし時代が下るにつれ、この鑑札制度は有名無実化していきます。なぜなら棒手振りの数が増えすぎて、幕府の取り締まりが追いつかなかったからです。
「あきない世傳金と銀2 お才(菜葉菜)染物師・力造の女房」の記事でも紹介しましたが、町人人口の7割が住む裏通りの長屋にはアサリ・しじみ・納豆・豆腐などを売り歩く行商人がしょっちゅう行き交っていたようです。
青物の棒手振りの例
江戸時代後半に江戸で暮らす庶民の様子を描いた「文政年間漫録」によると、青物(野菜)を扱う棒手振りの生活が詳しく述べられています。
青物の棒手振りたちは夜明けと共に菜籠(なかご)を担いで市場へ向かい、銭六百〜七百文(18,000~21,000円程度)で大根・かぶ・レンコン・芋などを仕入れ、日没まで売り歩いたと言います。
1日の売り上げはおよそ千二百文から千三百文(3万6,000円から3万9,000円)です。彼らは年間60日程度は商売を休んでいたと言われていますので、3万6,000円×300日で年商そのものは約1,000万円程度になっていたと考えられます。
「文政年間漫録」と「あきない世傳 金と銀」の比較
一方、「あきない世傳 金と銀」では留七と伝七に委託された反物は、一反あたりいくらであるかは明記されていません。仮に一反あたり銀六十四匁であれば、現在の価値にして12万8,000円となります。
しかし伝七と留七の行商は専門知識や信用が必要で、「文政年間漫録」に書かれている当時の一般的な行商からすると例外的な存在と言えるでしょう。