大岡越前7 旗本・御家人の裁判と評定所 その構成員たち

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大岡忠相の裁判管轄権について

武士と町人の裁判所は異なる

NHKの特選時代劇「大岡越前7」第5回「夜の奉行」では、近藤右門(神尾佑)という不良旗本が、盗賊団と結託して江戸市中の商家を次々に襲って強盗を働く凶悪事件が発生します。

大岡忠相(高橋克典)は、与力・同心岡っ引きなどの捕方を引き連れ自ら出役し、近藤たちの犯行現場で一味を捕縛しますが、このとき近藤とその配下は別々に裁きを受けることになります。

町奉行は武士に対する裁判権はなかった

悪党たちが別々に裁きを受ける理由は、幕臣である近藤には評定所(ひょうじょうしょ)が、庶民である配下たちは江戸町奉行所がそれぞれ裁判の管轄権を持っているからです。

「大岡越前」の裁きの場といえば、「南町奉行所でのお白洲」が有名です。では近藤が裁きを受けた評定所とはどういう機関なのでしょうか?

評定所とは何か?

評定所の役割

評定所は江戸幕府における最高裁判機関であり、特に社会的影響の大きい重罪人の裁判や大名・旗本といった高位の人物に関わる訴訟、また重要な行政案件の審議の場として機能していました。

評定所の特徴は、合議制によって裁定を下す点にあり、参加する役人たちは全員一致での結論を出す必要があります。

評定所の構成員

評定所の合議には、老中(ろうじゅう)大目付(おおめつけ)町奉行(まちぶぎょう)勘定奉行(かんじょうぶぎょう)寺社奉行(じしゃぶぎょう)が出席し、それぞれの専門分野から意見を出し合って判断を下しています。裁判においては、記録や証拠が重視され、慎重な審理が行われることが原則でした。

「大岡越前7」で登場した不良旗本・近藤右門の事件は、評定所における全員一致の合議によって「切腹」という処分が下されました。

以下の文章ではこの評定所を構成する役職者について簡単に紹介します。

老中とは何か

老中の役割と権限

老中(ろうじゅう)は、将軍を補佐し幕府の政務全般を統括する幕閣の中心的存在です。政治、軍事、外交、人事、法令の制定など、ほぼすべての重要案件を取り仕切っていました。現代の内閣閣僚や官房長官にも相当すると言えるでしょう。

老中は数名で構成され、合議によって決定を行うのが原則でした。とくに重要な案件については、評定所や老中会議で他の役職者の意見も取り入れつつ、将軍の意向を最終的に反映させる形で執政にあたりました。

なお老中が評定所に参加するのは「式日(しきび)」といった決められた日で、1名が参加するという体裁です。

任命される身分と経歴

老中には、原則として10万石程度の譜代大名が任命されました。譜代大名とは、関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えていた家臣の家系を指し、幕府への忠誠が保証された存在です。これにより、幕政の中枢は一貫して徳川政権内で保たれました。

大目付とは何か

大目付の職掌

大目付(おおめつけ)は、主に大名や旗本といった高位武士の行動を監視・取り締まる役職で、将軍直属の監察官です。特に幕政に関わる人物の不正や背信行為の摘発を担い、幕府内の統制を支える存在です。

また、大目付は将軍の名代として地方に赴き、諸藩の視察や巡見、特命調査などを行うこともありました。ときに「巡見使」として派遣されることもあり、その役目は現代の監査役や検査官に似ています。

評定所における大目付の役割

評定所では、公正な裁定が行われるよう、監察官としての立場から会議に参加します。大目付は政治的中立性を保つ役割として、意見の集約や問題の指摘を行い、老中の判断に対する牽制としても機能しました。

目付とは何か

目付の職掌

目付(めつけ)は、幕府内部の役人や旗本、御家人たちの行動を日常的に監視する役職であり、いわば幕府の「目」として機能していました。中級旗本が任命され、特に不正や風紀の乱れを見張ることが任務でした。

目付のキャリア

彼らは、町奉行や遠国奉行などの上級職に登用される前の実務経験の場としても重要であり、行政・司法・監察のスキルを磨く機会となっていました。

寺社奉行

寺社奉行の職掌

寺社奉行は、神社仏閣の保護・監督、宗教関係者の人事、宗教施設の維持・修復の許認可などを担当しました。また、宗教政策の一環として、キリスト教弾圧や宗門改(宗教調査)にも関与していました。

寺社奉行のキャリア

10万石以下の譜代大名が任命されることが多く、幕府に対する忠誠心と格式が重視されました。宗教=思想の管理という観点から、重要なポストの1つと考えられていました。

町奉行

町奉行の職掌

町奉行は、江戸市中の行政、治安維持、裁判、商業監督、消防、インフラ管理などを担っており、現代で言えば東京都知事・警察署長・裁判官を兼ねたような役職です。江戸には南北2名の町奉行が交代制で執務しており、昼夜を問わず事件や行政対応に追われていました。

町奉行のキャリア

町奉行には旗本の中でも特に実務に長けた人物が任命され、目付や遠国奉行などでの経験が重視されました。たとえば江戸南町奉行で有名な大岡忠相は、伊勢国(現在の三重県)の山田奉行を務めた後に町奉行へと登用されています。

勘定奉行

勘定奉行の職掌

勘定奉行は、幕府の財政・税制・土地管理・年貢の徴収などを担当する役職であり、現代の財務省・国税庁に相当します。また、直轄地(天領)の代官所を統括し、各地の財務状況の監督にもあたりました。

勘定奉行のキャリア

この職には旗本が多く登用されましたが、経済に明るい譜代大名が任命されることもありました。実務能力と信頼性が求められる職であり、しばしば財政再建の切り札とされました。

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