あきない世傳(せいでん)金と銀2 大坂と江戸の娯楽はいくら?

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江戸時代の娯楽費用と金銭交換レート

江戸時代の娯楽にまつわる費用について

2025年春から放送されるNHKBS時代劇「あきない世傳(せいでん)金と銀2」の原作小説である「あきない世傳(せいでん)金と銀」シリーズを読んでいると、享保年間や元文年間と呼ばれた江戸時代中期における大坂の娯楽や遊びに関わる費用が記述されています。

一方でNHK大河ドラマ「べらぼう」の原作小説や、「江戸の銭勘定 庶民と武士のお金のはなし」を読んでいると、同時代における江戸の娯楽に関わる費用について言及されています。

そこで今回の記事では、江戸時代中期における江戸と大坂の娯楽に関わる費用について比較してみましょう。

金貨・銀貨・銭貨の交換レート

今回の記事で紹介する娯楽や遊びに関する費用の金銭価値は、単純化して一文 = 30円とします。また江戸時代は主に大坂では銭貨と銀貨が、江戸では銭貨と金貨が使われます。よって三貨の交換レートは以下の通りとします。

  • 金一両(12万円) = 金四分 = 金十六朱 = 銀六十匁 = 銭四千文
  • 銀一匁(2,000円) = 67文

江戸時代 大坂の娯楽の費用

人形浄瑠璃の観劇料(桟敷席)

小説版の「あきない世傳(せいでん)金と銀」の(三)奔流篇113ページによると、銀二十匁(40,000円)となっています。当時平均的な職人の一日の日当は銀三匁と言われていましたので、桟敷で観る人形浄瑠璃がいかに高価なものであったか伺いしれます。

人形浄瑠璃の観劇料(割合席)

小説版の「あきない世傳(せいでん)金と銀」の(三)奔流篇113ページによると、二百三十文(6,900円)となっています。この「割合席」とはどんな席なのかは分かりませんが、桟敷席よりは格が落ちる席として描かれています。

歌舞伎の観劇料(二階席)

小説版の「あきない世傳(せいでん)金と銀」の(三)奔流篇146ページによると、百五十文(4,500円)となっています。

新町廓の揚代

新町廓とは大坂にあった遊郭のことであり、揚代とは女郎と遊ぶための料金のことです。小説版の「あきない世傳(せいでん)金と銀」の源流篇155ページによると、「囲い女郎」という角の女郎と一晩遊ぶためには、銀十四匁(28,000円)が必要であるとされています。

江戸時代 江戸の娯楽費用

隅田川の花火

両国橋付近は江戸で一番の納涼の場所で、5月28日から8月28日の間はもっとも賑わいました。江戸中の船宿や茶店などは費用を出し合い、納涼期間中に2~3回は花火が打ち上げられたと言います。

この打ち上げ花火にかかる費用は、1発あたり金一分(4万円)で、10発も上げればあっという間に二〜三両という大金が飛ぶことになります。

歌舞伎の観劇

桟敷席は銀十二匁五分(2万5,000円)から三十五匁(70,000円)で大衆席は百文(3,000円)。立見席は十文(300円)。

相撲観戦

現代では相撲の本場所興行は年6回・15日間ですが、江戸時代の相撲興行は当初、年2回・晴天の8日間で、安永年間(1772年〜1781年)から10日間となりました。

桟敷席での観戦は銀四十三匁(86,000円)で、一般の木戸銭は銀三匁(6,000円)だったと言われています。

軽業の見世物

両国の広小路と浅草寺本堂裏の浅草奥山には大きな盛場があり、周囲には多くの見世物小屋が並んでいたと言われています。

小屋内では軽業や手品・曲独楽(きょくごま)などが演じられ、木戸銭は六文(180円)。ただしこの木戸銭は「入場料」で、中に入ってから芸を見るための中銭の十二文(360円)が必要であったと言われ、中には「下足銭」という名目で追加の料金を取られることもあったと言います。

金魚の鑑賞

井原西鶴が1693(元禄6)年に残した遺稿集には「真鍮屋」という金魚を扱っていた店の記述があり、そこには金魚が一尾金五両(80万円)や七両(112万円)もすると書かれています。

そのうち真鍮屋から仕入れた金魚を売り歩くものも登場し、その値段は一朱(1万円)から二朱(2万円)はしたと言われています。

宿代

旅籠とは食事付きの旅館のことですが、「東海道中膝栗毛」で、弥次郎兵衛と喜多八が泊まった旅籠の代金は、風呂と朝・夕の2食付きで二百文(6,000円)です。

一方、木賃宿とは旅人が持参した米を自分で炊くための木賃(薪代)を払うものです。木賃宿は雑魚寝が基本なので、料金は旅籠と比べて格安の四文(120円)から十六文(480円)程度だったと言われています。

吉原遊郭の揚代

揚代とは女郎屋にいる女郎と遊ぶために必要な指名料金のことです。女郎の格によって揚代は異なり、最も格の高い「呼出(よびだし)」と呼ばれる花魁の揚代は金一両一分(20万円)、2番目に格が高い「昼三(ちゅうさん)」という花魁の揚代は金三分(12万円)であったと言われています。

なお吉原の花魁と遊ぶためには、遊客は自分の費用で宴席を張り、芸者・幇間などの芸人を呼ぶ必要がありました。よって遊客が最終的に吉原の大見世で一晩遊ぶためには、最低でも十両(160万円)はくだらなかったそうです。

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