あきない世傳金と銀2 彦太夫(板尾創路)と江戸時代の農村支配

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あきない世傳金と銀2の彦太夫とは

彦太夫は幸の生まれ故郷・津門村の豪農

NHKBS/BSプレミアム4Kで2025年4月6日から放送される「あきない世傳(せいでん)金と銀2」の大坂編に登場する人物として、彦太夫(板尾創路)という男性がいます。

彦太夫は、主人公・幸(小芝風花)の故郷・摂津国(現在の大阪府と兵庫県の一部)津門村の豪農です。幸の父・重辰が健在であった頃は、重辰が主催する私塾「凌雲堂」の支援者でした。

重辰が亡くなったのちは、知り合いであった大坂天満の呉服商・五鈴屋に幸が奉公できるよう口利きをし、残った母・房と妹・結(長澤樹)を自家の奉公人として引き取っていました。

彦太夫はどれぐらいの身分の百姓だったのか

どうやら彦太夫は多数の奉公人を雇っており、米作のほかにも、江戸時代の商品作物である綿花も大規模に栽培しているようです。村に呉服の行商人が現れるとたびたび絹の反物も買い求めていたことから、おそらく当時の下級武士などよりは、経済的にはよほど裕福な暮らしをしていたと考えられます。

原作小説の「あきない世傳 金と銀」源流篇では、彦太夫の身分について豪農としか説明されていませんが、おそらく津門村で村方三役(庄屋・組頭・百姓代)をつとめることができるような大きな農家であったと考えられます。

今回の記事では江戸時代における農村地域の支配体制について紹介をします。

あきない世傳 金と銀と農村支配の関係

江戸時代における農村支配の構造

江戸時代において農村地域は、町方では町奉行を頂点とする町役人による統制が敷かれていたように、天領(幕府領)であれば幕府から派遣された郡代(ぐんだい)・代官(だいかん)、大名領であれば藩から派遣された郡奉行(こおりぶぎょう)を頂点として、村役人による百姓支配が確立していました。

1. 統治者の機構: 幕府・藩からの役人 郡代・代官・郡奉行

天領であれば郡代もしくは代官、大名領であれば郡奉行などが農村地域を管理する最高責任者でした。彼らの主な任務は、年貢の徴収・治安の維持・訴訟の処理などで、実務や現地での巡回は同心・与力・手代といった属僚の武士たちが担うことになります。

なお郡代とは複数の郡をまたがって管理する責任者で、代官は郡代と比べて小規模の地域を管理する責任者でした。

2. 村落の自治組織:村方三役と村の指導層

幕府や藩の地方支配は、村を単位とした「自主管理的な支配」が基本でした。その中心となったのが「村方三役(むらかたさんやく)」と呼ばれる役職です。

村方三役

  • 名主(なぬし)または庄屋(しょうや): 村の代表者。年貢の納入責任者。土地台帳の管理や訴訟対応など幅広く担当。
  • 組頭(くみがしら): 名主の補佐。村内の複数の集落を束ねて監督する役。
  • 百姓代(ひゃくしょうだい): 村人の代表として、名主や代官に対する「声」を届ける役割。チェック機能も果たした。

これらは「村」の中で行政・税務・調停・連絡などの実務を担う、準公的な自治役人のような存在でした。

建前は任命制、実際は世襲制

村方三役のうち、名主または庄屋・組頭・百姓代は原則として公的な任命制でしたが、実際には「世襲的」な傾向が非常に強く、代々同じ家が務めることが一般的でした。

名主または庄屋と組頭に関しては、代々築かれた人的ネットワークや資本が必要であったため、ほぼ固定であったようです。百姓代に関してはやや開かれていましたが、一定の信用・識字能力・経済力がある本百姓の家系が選ばれる傾向にありました。

3. 村民の階層構造:百姓の内部分類

町方において表通りに住む町人と裏通りに住む町人に階層があったように、村落における百姓の間にも階層がありました。

本百姓(ほんびゃくしょう)

  • 土地を持ち、年貢を直接納める農民。
  • 村の正式な構成員とされ、年貢責任や村政への発言権を持つ。
  • 人数は全体の3〜5割程度とされる。

小前百姓(こまえびゃくしょう)

  • 本百姓より小規模な土地を持つ、中小層の農民。
  • 年貢の納入義務はあるが、自作地が少なく、労働力の提供や副業によって生計を立てていた。

水呑百姓(みずのみびゃくしょう)

  • 土地を持たない農民。農業労働や日雇い仕事、手工業で生計を立てた。
  • 年貢を直接納めることは少ないが、人足や賦役など村の義務には従った。
  • 「水しか飲めないほど貧しい」という語源には諸説ありますが、最下層の農民階級。

彦太夫は尼崎藩領の本百姓

このような江戸時代における農村地域の支配構造を見ると、「あきない世傳 金と銀」シリーズに登場する、豪農の彦太夫とは、本百姓の家であり、庄屋や組頭ほどの家ではなくても、百姓代を務めることができる家であったと推測されます。

なお主人公・幸の生まれ故郷である摂津国津門村は、西宮市津門地域コミュニティが公表する資料(PDFファイル)によると、天領ではなく大名領である尼崎藩領であったことが分かります。

よって彦太夫の村方における管理の上位者は庄屋であり、統治者は尼崎藩から派遣された郡奉行ということになります(「名主」は主に東日本の名称で「庄屋」は主に西日本における名称)。

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