あきない世傳 金と銀2 女衆(おなごし)と女名前禁止

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江戸時代における女性奉公人のキャリア

男性の奉公人と女性の奉公人

先日、「あきない世傳(せいでん)金と銀2 丁稚・手代・番頭のキャリア」という記事を公開しました。この記事は小説版の「あきない世傳(せいでん)金と銀」の記述に基づいて、大坂の商家で奉公する男性奉公人たちが、どのようにして商家に奉公へ上がり、どんな働きをして、最終的にどうなるのかを説明しました。

しかしこの記事で説明した奉公人というのは、あくまで男性の場合です。女性も商家に奉公へ上がることは珍しくないことでしたが、奉公に上がると男性と全く異なるキャリアを歩むことになります。

男性奉公人は「表」 女性奉公人は「奥」

商家が奉公人を雇い入れる理由は、労働力という点で一致しています。しかし男性と女性では雇い入れる目的は全く異なりました。

商家は男性を「表」の仕事に使う目的で雇い入れるのに対して、女性は「奥」の仕事に使う目的で雇い入れています。ここでいう「表」と「奥」というのは、「店」と「プライベートルーム」かという意味で、男性は店の商売に関わる仕事をさせるために雇われ、女性は商家の家政に関わる仕事をさせるために雇われていました。

「キャリアアップ」は見込めなかった女性奉公人

10才前後の男の子が丁稚として奉公へ上がった場合、商人として必要な教育を受けつつも、最初は雑用・力仕事がメインです。しかし年月をかけて真面目に奉公を積み重ねると、手代番頭へ昇進し、職責も重くなります。

また番頭になったあとも主人に認められると、住み込みの番頭から所帯を持つ「通いの番頭」となり、最終的には「別家(べっか)」としてのれん分けをしてもらい独立開業する可能性もあります。

しかし、ある程度のキャリアと独立開業の可能性がある男性奉公人に対して、「あきない世傳(せいでん)金と銀」当時の女性奉公人には昇進の可能性は全くありませんでした。

「女子は一生鍋の底を磨いて終わる」

「あきない世傳(せいでん)金と銀」 に登場する、五鈴屋の女衆であるお竹どん(いしのようこ)とお梅どん(内藤理沙)は、たびたび自分たちの境遇を「女子(おなご)は一生鍋の底を磨いて終わる」と嘆きますが、これは当時の女性奉公人にはキャリアアップが全く約束されていないことをよく表すセリフでもあります。

彼女たちが日の目を見るには、主人の目にかなって、評判の良い職人や大工などに嫁に行くことがせいぜいでした。

江戸時代は「男女の機会不平等」

現代の日本では日本国憲法でも労働基準法男女雇用機会均等法などさまざまな法律で、男女の機会平等が定められています。

しかし「あきない世傳(せいでん)金と銀」の当時は、男女平等という概念などなく、そもそも女性は女衆として給銀を受けるような立場になっても一人前の扱いを受けることはありませんでした。

その良い例が教育における「男女の機会不平等」です。

女衆は教育も受けられない

商家に奉公に上がる年頃は男の子も女の子もおおむね10才前後で同じくらいで、教育の水準も男女ともにひらがな・かたかな・漢数字などの読み書きができる程度であったと考えられます。

しかし女子の奉公人は、商人としてのキャリアは期待されていないため、営業終了後に男子の丁稚たちが「商売往来」を使って受けられる教育を受ける機会を、女子の女衆に与えられていませんでした。

現代の価値観からすれば、男女不平等も甚だしい考え方ですが、当時はそれが当たり前だったのです。

教育を受けた幸は特例中の特例

「あきない世傳(せいでん)金と銀」では、主人公・幸(永瀬ゆずな・子役)は女子でありながら、番頭・治兵衛(館ひろし)による「商売往来」の講義を聞く機会に恵まれます。

これは幸が学者の子であり、あまりに賢かったため、才能を惜しんだ治兵衛が特別の計らいでとった措置です。

ただし現代の小学校のように男子の丁稚たちが受けている講義の中に女子の幸を入れると、同業者の呉服仲間たちから「五鈴屋さんは狂ってもうた」と後ろ指さされます。

そこで治兵衛は外聞を憚って隣室で、講義をするために必要な墨をすらせるという名目で幸に「商売往来」の講義を聞かせていました。

商家の主筋にいる女性たちのキャリア

「女名前禁止」の大坂の商家

商家でキャリアを上げる機会に恵まれなかったの奉公人だけでありません。主筋と呼ばれる商家の主と血を分けた女性たちも、キャリアは閉ざされていました。

江戸時代の大坂では女性は、商家の娘として生まれると「いとさん」、商家の主人に嫁ぐと「ご寮さん(ごりょんさん)」、主人が引退すると「お家さん(おえさん)」と特別な敬称でもって奉公人たちから呼ばれますが、残念ながら彼女たちに商家の名跡を継ぐことは許されていません。

「あきない世傳(せいでん)金と銀」の五鈴屋の主人は代々「徳兵衛」の名跡を名乗ることになっていますが、大坂の呉服仲間には「女名前禁止」の取り決めがあり、女性が主人となることは禁止されています。

現代の日本で「組合の取り決めによって性別だけの理由で女性は社長にはなれない」ということが世間に広がれば、SNSで炎上することは必至でしょう。

「女名前禁止」の例外規定

ただし大坂天満の呉服仲間が取り決めた「女名前禁止」には例外規定があります。それは主人の急逝で跡取り息子がすぐに見つからない場合、時限的に「ご寮さん」が主人となることはできます。

なお、同時代の江戸では大坂と違って「女名前禁止」という習慣はなく、女性でも主人の名跡を継ぐことはあったようです。

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