人形遣いの亀三と人形浄瑠璃
亀三は智蔵の親友
NHKBS/BSプレミアム4Kで2025年4月6日から放送される「あきない世傳(せいでん)金と銀2」の大坂天満編に登場する人物として、星田英利さんが扮する亀三(かめぞう)という男性がいます。
亀三は道頓堀にかかる戎橋のたもとにある、人形浄瑠璃の小屋「筑後座」に所属する人形遣いです。五鈴屋六代目当主が浮世草子の作者を目指していて、食うや食わずやの生活をしていた頃からの友だちです。
人形浄瑠璃と人形遣い
人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり) とは、語り(太夫)・三味線・人形劇が一体となった日本の伝統的な人形劇 です。特に江戸時代の元禄期から著しい発展を遂げ、現在では「文楽(ぶんらく)」として知られています。
亀三が担当している人形遣いとはその名の通り、人形劇の中で人形の動作を担当しています。人形の動作は「三人遣い」と呼ばれ、3人1組で1体の人形を扱います。
- 主遣い(おもづかい):頭と右手を動かす。
- 左遣い(ひだりづかい):左手を操作。
- 足遣い(あしづかい):足の動きを担当。
人形浄瑠璃と歌舞伎の比較
大坂では歌舞伎よりも人形浄瑠璃の方が人気だった
江戸時代の娯楽といえば歌舞伎を思い起こす方もいらっしゃるかもしれません。
しかし「あきない世傳金と銀2」の時代背景となっている、江戸時代中期(享保年間・元文年間)における大坂の娯楽といえば、歌舞伎よりもむしろ人形浄瑠璃の方が人気がありました。
なぜ大坂で人形浄瑠璃が人気だったのか?
1. 大坂は「義太夫節」の発祥地だった
人形浄瑠璃の語り(義太夫節)は、大坂で発展しました。17世紀後半に竹本義太夫(たけもとぎだゆう)が大坂・道頓堀に竹本座(たけもとざ)を開き、義太夫節を確立。
さらに大坂では「竹本座」と「豊竹座(とよたけざ)」という二大浄瑠璃劇場が競い合い、人形浄瑠璃の黄金時代を迎えた。
2. 近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の登場
大坂の人形浄瑠璃は、18世紀の近松門左衛門の作品によって大きく発展します。その代表作には以下のものが挙げられます。
- 「曽根崎心中(そねざきしんじゅう)」(1703年) – 現実の事件を基にした恋愛悲劇。
- 「冥途の飛脚(めいどのひきゃく)」 – 町人の悲劇を描いた世話物。
- 「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」(1715年) – 壮大な歴史劇で空前のヒット。
近松門左衛門の作品は、歌舞伎よりも人形浄瑠璃での上演が圧倒的に多く、大坂の町人に大人気でした。
3. 大坂の町人文化に合っていた
大坂は「天下の台所」と呼ばれ、武士は少なく商人が多く、町人文化が非常に発達していました。そのため人形浄瑠璃の作品は、商人や町人の生活を題材にした「世話物(せわもの)」が多く、大坂の庶民に強く共感される背景もありました。
4. 歌舞伎よりも演技の自由度が高かった
歌舞伎は、実際の役者が演じるため、動きや演技に制約があります。人形浄瑠璃では人形を使うことで、現実の人間には不可能な動きや表現ができました。
例えば、心中の場面で、ゆっくりと倒れ込む演出や、劇的な変身などが可能です。こうした演出は観客の心をを強く揺さぶる要因になります。
5. 歌舞伎の規制が厳しかった
江戸幕府は歌舞伎を取り締まるため、たびたび規制を行っていました。女性の出演禁止(1653年)や若衆歌舞伎の禁止(1657年)など、歌舞伎は厳しく統制されていました。
一方で、人形浄瑠璃はにはこういった規制はなく。比較的自由に発展し大坂の町人文化の中心となります。
人形浄瑠璃と商家の関係
人形浄瑠璃は裕福な商家に資金援助をしてもらっていた
実は人形浄瑠璃と呉服商は切っても切れない関係にあります。江戸時代の人形浄瑠璃では、劇中に呉服屋などの商店の屋号を織り込み、ひんぱんに広告・宣伝をしていたと考えられています。
人形浄瑠璃の興行には多額の資金が必要であり、裕福な商人や大店(おおだな=大規模な商家)からの支援を受けることが一般的でした。
呉服商の劇中広告
人形浄瑠璃のスポンサーとなった裕福な商家には呉服商も含まれています。呉服商は人形浄瑠璃の興行に多額の資金を提供する見返りとして、太夫が発するセリフの中に屋号を言わせたり、人形の衣装に自分が売り出したい反物を使ってもらうなどをしてもらってました。
現代の言葉を使えば「劇中広告(プロダクト・プレースメント)」に該当しますが、この広告をよく使っていた呉服商の例として、三井越後屋・大和屋・白木屋などの大店が挙げられます。
あきない世傳金と銀の五鈴屋と筑後座の関係
衣装提供だけをした五鈴屋
ここまでの説明をすると「あきない世傳金と銀2」に登場する五鈴屋六代目当主の智蔵(松本怜生)と幸(小芝風花)の夫妻も、亀三に自分の店で扱っている反物を売り込んでいたかが気になるところです。
結論を言うと彼らは亀三が所属する筑後座に「劇中広告」を行なってもらいます。ただし彼らが行なった広告というのは、五鈴屋が売り出したい「桑の実色」の反物を亀三が扱う女形の人形に着せるだけで、太夫に「五鈴屋の反物は良い」などというセリフは言わせることはありませんでした。
芸一筋の亀三はお金や広告の話を嫌がるため、智蔵と幸は一歩下がった広告を展開することになります。
智蔵と幸は劇中広告に成功
ちなみに智蔵と幸は太夫に「五鈴屋」と名前を言わせることなく、「桑の実色」の反物を大々的に売り出すことに成功します。
これは幸が亀三が操る女形の人形が出演する演目のたびに「筑後座」へ観劇をしに行き、「あの人形と同じ着物を着ている美人はどこの誰だ?」と評判を呼んだからです。