あきない世傳金と銀2のお才とは
お才は染物師・力造の女房
NHKBS/BSプレミアム4Kで2025年4月6日から放送される「あきない世傳(せいでん)金と銀2」の江戸編に登場する人物として、菜葉菜さんが扮するお才(おさい)という女性がいます。
お才は染物師・力造(りきぞう)(池田努)の女房で、染物と五鈴屋の商売である呉服太物商とは大変深い関係があります。のちに小紋染めを手がけることを渋る力造に対してお才は説得をします。
しかし原作小説の「あきない世傳 金と銀」(七)碧流篇では、主人公・幸(小芝風花)がお才と出会うのは、「五鈴屋江戸店」の一間で行われた「帯結び指南の教室」を通してのことでした。
裏店住まいのおかみさんでもあるお才
すでに大坂での商いでも反物の他にも帯地を、五鈴屋の主力商品として販売することに自信を深めていた幸は、江戸でも反物の他に帯地の販売に力を入れます。
しかし江戸での知名度も顧客基盤もないことが分かっている幸は、毎月十四日に無料で「帯結び指南の教室」を開催することを決断します。
日本橋の大店の呉服商が相手にしてこなかった「裏店住まいのおかみさんたち」に帯結びでおしゃれをすることを楽しんでもらい、いざというときのために晴れ着を作りたくなったときに「五鈴屋」で購入してもらうという長期的な販売手法です。
この「裏店住まいの女将さんたち」の1人こそ、お才だったのです。
お才の口コミで五鈴屋の名前が広がる
お才は、無理な売り込みをしない五鈴屋の販売手法にすっかり感心してしまい、毎月十四日には必ず「帯結び指南の教室」に現れるようになります。
さらにお才の口コミによって、「帯結び指南の教室」に訪れる女性は「裏店住まいの女将さんたち」だけではなく、裕福な商家の娘や武家のご内儀も姿を見せるようになります。
江戸時代の町人地 表通りと裏通り
口コミが広まったのはお才の「コミュ力」が高かっただけか?
結局、五鈴屋の知名度を高めることに貢献したお才という人物は、今でいうところの「コミュ力が高い」女性だったのかもしれません。口コミで話と店の名前を広めていくというためには、人前に出て面白い話をしようという気持ちが必要でしょう。
しかし厳密に考えると人前に出て話をするということは、そもそも人が大勢集まるような場所にいる必要があります。「裏店住まい」のお才は単に「コミュ力が高かった」だけではなく、人が集まりやすい住環境に身をおいていたと考える方が自然でしょう。
表通りに住む町人と裏通りに住む町人
「士農工商」という身分制度が幅を利かせていた江戸時代において、お才のような「町人」という階級の人はどんな場所に住んでいたのでしょうか?
「町人」と聞いてひょっとすると江戸時代の浮世絵に登場するような江戸・日本橋の表通りに住む住人たちのことを思い出す人もいるでしょう。
しかし江戸時代において表通りに住む町人とは町人全体の3割程度で、残りの7割は裏通りにある長屋に住んでいたと考えられます。
ちなみに「あきない世傳 金と銀」シリーズで、主人公・幸たちが活躍する五鈴屋の初代徳兵衛は、伊勢国(現在の三重県)行商人から裏通りに住まうようになり、二代目徳兵衛から表通りに店を構えるようになります。
雑然としていた裏通りの長屋
表通りに大きな間口の店が並び、屋号を大きく染め抜いた暖簾が整然と掲げられていますが、表通りから少し歩を進めて裏通りに入ると、木戸には様々な看板や名札が雑然と掲げられていて、その区画に住む住人の名前やその商売名が書かれています。
長屋を分つ通路のよう道には近所の住人以外にアサリやシジミ、納豆や豆腐などを売る行商人も行き交います。
大きな商家の小僧たちが掃き清めた表通りと比べると、裏通りはまさに「カオス」という現代的な表現がピッタリくるでしょう。
江戸時代における長屋の居住環境
井戸・厠は共用
さらに長屋の住環境を詳しく見てみましょう。井戸や厠、つまり現代でいうところの水道とトイレは共有です。共有といえば、ついでにゴミを溜めておく場所も共有です。
現代でも「井戸端会議」という言葉が日常的に使われますが、当時の女性は否応なしに毎日長屋の共有スペースである井戸端に集まって家事をすることになります。
ちなみに「江戸はスゴイ 世界一幸せな人々の浮世ぐらし」によると、七夕の日である毎年七月七日は「井戸替え」と言って、長屋を管理する大家以下、店子全員で井戸水を汲み出して井戸の大掃除を行う習慣があったそうです。
この大掃除が終わった後、参加者が軽食を取りながら打ち上げをしていたと言われています。
「九尺二間」で薄い壁の居住スペース
次に長屋の居住スペースです。裏通りで単身者用の長屋のスペースは「九尺二間」であったと言われています。
つまり長屋は間口九尺(約2.72m)で奥行きが二間の部屋であったという意味です。この奥行き二間の中には四畳半の座敷と土間と簡単な炊事場が据え付けられたというものでした。
一方、妻帯者用の長屋はもう少し広くて「九尺三間」だったそうです。
ただし単身者用にしても妻帯者用にしても、お隣さんの部屋と分つのは薄い壁と障子だけです。隣が何をしているか、また何を話しているか全て筒抜け状態で、およそ「プライベート」という概念から程遠い居住空間でした。
裏通りの長屋暮らしお才の口コミを広げた
それでは「あきない世傳 金と銀2」に登場するお才の話に戻しましょう。
お才が五鈴屋の名前を広めることができたのは、果たして「コミュ力が高い」という個人的資質だけによるものだったのでしょうか?ここまで記事を読めば「それだけではない」ということが分かりますよね。
そもそもお才の暮らしているスペースには人が集まりやすく、何か話をすればあっという間に口コミが近所に広まってしまうという素地が、現代の令和の世の中よりも備わっていたのです。