あきない世傳金と銀2 お梅(内藤理沙)五鈴屋の女衆(おなごし)

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あきない世傳金と銀2のお梅とは

お梅は五鈴屋の女衆(女性奉公人)

NHKBS/BSプレミアム4Kで2025年4月6日から放送される「あきない世傳(せいでん)金と銀2」の大坂編に登場する人物として、内藤理沙さんが扮するお梅(おうめ)という女性がいます。

お梅は五鈴屋で奉公する女衆の1人です。第1シリーズの「あきない世傳 金と銀」で、1733(享保18)年に9才の幸が五鈴屋に後輩の女衆として奉公に上がったときには、お梅は同じ女衆としてすでに20年のキャリアを持っていました。

お梅以外の女衆たちの「出世」

お梅と一緒に五鈴屋で働く他の女衆たちは、年月が経つにつれて立場が変わっていきます。

まず後輩の幸(小芝風花)は、1738(元文3)年に14才で四代目徳兵衛の後添え(後妻)に決まって、奉公人たちからは「ご寮さん」と呼ばれるようになります。

また1751(宝暦元)年に江戸で五鈴屋が開業したときは、お梅の先輩である女衆・お竹(いしのようこ)は、「五鈴屋江戸店」で小頭(こがしら)に抜擢されました。この小頭とは手代を長く勤めたものに与えられる現場管理職の肩書きです。

しかし、お梅は幸やお竹と違って30年以上、女衆のままです。

出世しないことが当たり前の女衆たち

もっとも「あきない世傳 金と銀」シリーズにおける幸やお竹の「出世」というのは、江戸時代としては異例のことです。

なぜなら「あきない世傳 金と銀2 女衆(おなごし)と女名前禁止」の記事でも説明したように、この時代の商家における女性奉公人は「女子は鍋の底を磨いて一生を終える」と言われたように、商家のビジネスに携わることはありません。

女衆たちは台所仕事や主筋のプライベート空間で雑用をこなすだけで、表の仕事でキャリアアップをすることは、まず望めませんでした。物語では幸やお竹の活躍に注目が集まりますが、この2人はむしろ当時の慣習からすると「例外」の部類に属します。

普通の女衆の憧れは結婚

そのため江戸時代における女衆がその境遇から這い上がるためには、主筋の人たちから身持ちの堅い男性を紹介してもらい結婚することぐらいでした。

実際「あきない世傳 金と銀」のお梅も「いつから自分もお嫁に行きたい」というのが口癖になっています。

江戸時代の結婚事情と男女の人口比率

当時の江戸は男性に偏っていた

ドラマでも原作小説でも「あきない世傳 金と銀」では、お梅がいつ結婚して所帯をもつのか気になるところです。そこで今回の記事では、江戸時代における結婚事情を説明しておきましょう。

そもそも当時の江戸は人口における男女比率が男性の方に極端に偏っていたと言われています。男性ばかりに偏っていたのはいくつか理由がありました。

1. 江戸が武士の城下町であったため

江戸は徳川幕府の本拠地であり、多くの武士が住んでいます。特に参勤交代制度によって、各藩の武士(主に男性)が江戸に滞在する必要がありました。

武士は基本的に単身赴任

  • 大名は江戸と領国を行き来する必要があり、江戸には主に武士や藩士(男性)が多く住んでいた。
  • 一般の下級武士や藩士も単身赴任で来ることが多く、妻子は藩に残ることが一般的。

結果として、江戸には男性人口が増加しました。

2. 大量の「出稼ぎ労働者(町人)」が流入

江戸は日本最大の都市として発展し、多くの労働者が地方から出稼ぎに来ました。これには以下のような背景があります。

職人や商人の多くは地方出身者

  • 江戸は発展とともに多くの職人・商人を必要とした。
  • 彼らの多くは「出稼ぎ」として江戸に単身で移住し、妻子を故郷に残した。

女性の移住には制限があった

  • 江戸は男性の労働者が多く集まる都市だったが、農村部から女性が自由に移住することは容易ではなかった。
  • 社会的な慣習や女性の移動の制限があり、男性に比べて女性の人口は少なくなった。

この結果、町人層でも男性が圧倒的に多くなったと言われています。

3. 武家地が広く、庶民の居住空間が限られていた

江戸の町の構造自体が、男女の人口比に影響を与えていたとも考えられています。

江戸の大部分は武家地

  • 江戸の面積の約6割は大名屋敷や武士の屋敷が占めていた。
  • 庶民が住む「町人地」は限られていたため、男性単身の出稼ぎ労働者が集まる形になり、家族連れの移住は困難だった。

結果として、男性が一時的に集中しやすい環境が生まれたと考えられます。

4. 社会構造・法制度による影響

江戸は独身男性の街

  • 江戸は「八百八町」とも呼ばれ、多くの長屋に労働者が暮らしていたが、その多くは独身男性だった。
  • 町人文化の中で、遊郭や銭湯など独身男性を対象とした娯楽が発達。

女性の移住制限と間引き

  • 農村では女性の数がある程度維持され、人口バランスが取られていたが、江戸には農村の女性が簡単に移住できなかった。
  • 幼児の「間引き」(口減らし)が行われた地域では、男子が優先的に育てられ、女性の人口が少なくなったことも影響していると考えられる。

結果的に、男性ばかりが住まう都市が形成されました。

5. 江戸の町方人口と男女比率の数値的な証拠

江戸はスゴイ 世界一幸せな人びとの浮世ぐらし」は、1721(享保6)年の町方人口を掲載しています。

それによると、男性が32万3,285人(64.5%)であったのに対して、女性は17万8,109人(35.5%)と、町方の女性人口は全体の約3分の1しかいなかったことが示されています。

お梅は江戸で結婚できるのか?

士農工商の身分制度が幅を利かせている江戸時代では、商家の奉公人であるお梅は武士と結婚することはできないでしょう。

しかし町方の人口だけを見ても、江戸の女性の人口は圧倒的に少なかったのは間違いなそうです。もしお梅が大坂から江戸に出てくることがあれば、結婚のチャンスがあるかもしれません。

架空の物語の登場人物であるお梅にこの記事を読んでもらえないことは残念ですが、お梅に幸多からんことを祈ります。

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