あきない世傳金と銀2 佐七改め佐助(葵揚)手代から支配人の昇進

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あきない世傳金と銀シリーズの佐助とは

佐助は「五鈴屋江戸店」の開業に参画

NHKBS/BSプレミアム4Kで2025年4月6日から放送される「あきない世傳(せいでん)金と銀2」の大坂天満編と江戸編に通して登場する人物として、葵揚さんが扮する佐七(さしち)という男性奉公人がいます。

元々、佐七は「五鈴屋本店」の手代でしたが、五鈴屋が江戸に開店するための準備要員として、丁稚賢吉とともに日本橋坂本町にある古手商・「近江屋江戸店」に出向し、「五鈴屋江戸店」の開業とともに手代から支配人に昇進した奉公人です。

「佐七」から「佐助」に改名

佐七は手代から支配人に昇進するとともに、大坂の商家にある習いの通り、佐七の「七」の字を返上して「助」とし、「佐助(さすけ)」と名前を改めます。

「支配人」という肩書きは「番頭」と同格の肩書きです。よって佐助の奉公人としての立場は、「五鈴屋本店」の番頭・鉄助(八嶋智人)「五鈴屋高島店」の支配人・周助(泉澤祐希)と同じになります。

「支配人」と「番頭」は同格

大坂にある「五鈴屋本店」から見れば、江戸にある「五鈴屋江戸店」はいわば支社です。

「あきない世傳 金と銀2」のお話では、主人公・幸(小芝風花)が五鈴屋七代目当主として「五鈴屋江戸店」にしばらくの間常駐します。しかし建前上、当主は支店に常駐しないことになっていますので、佐助には「五鈴屋高島店」の周助と同じく、「支社長」と言える「支配人」という肩書きが与えられます。

男性奉公人のキャリアと年齢の関係

佐助は30代半ばで五鈴屋江戸店の支配人に

ドラマ版の「あきない世傳金と銀」シリーズでも小説版の「あきない世傳金と銀」シリーズでも、佐助の年齢については触れられていません。

小説版の「あきない世傳 金と銀」源流篇を読むと、1733(享保18)年に9才の幸が五鈴屋に女衆(おなごし)として奉公に上がった時にはすでに手代としての佐七が存在していました。

「五鈴屋江戸店」は1751(宝暦元)年に幸が27才のときに開業しますので、おそらく佐助はこの時点で30代半ばで、奉公人としては早めの出世をしていると考えられます。

商家における男性奉公人のキャリア 「丁稚→手代→番頭」

以前、「あきない世傳(せいでん)金と銀2 丁稚・手代・番頭のキャリア」という記事では、江戸時代に商家へ奉公に上がった男性はどのような出世をするかということを説明しました。

この記事では当時の商家において男性奉公人は「丁稚(でっち)→手代(てだい)→番頭(ばんとう)」というキャリアを経て最終的に別家(べっけ)として独立すると述べています。

これらのキャリアを年齢別に見ていくと、以下の通りです。

  • 丁稚→ 10才前後
  • 手代→ 17~18才程度
  • 番頭→ 30才〜40才程度

「あきない世傳金と銀」は原作者の高田郁さんが、18世紀半ばの大坂にあった平均的な商家を想像しながら書いたと言われています。

したがって物語に登場する五鈴屋の男性奉公人たち、佐助だけでなく鉄助、賢輔といった奉公人たちは基本的にこのような年齢で昇進します。

「大店」ではもっと細かった奉公人の昇進システム

しかし江戸時代の商家をよく調べると、歴史の教科書に登場する大店(大店)である呉服商の白木屋(しろきや)三井越後屋(みついえちごや)では、「丁稚→手代→番頭」の3段階システムよりもさらに細かく肩書きが決められていたようです。

白木屋の場合

  • 丁稚(でっち): 11~12才
  • 若衆(わかしゅう): 16~17才
  • 手代(てだい): 20~21才
  • 小頭(こがしら)
  • 年寄(としより)
  • 番頭(ばんとう)

丁稚から手代になるまでは年齢順で昇格できますが、小頭以降は昇格できるかどうかは成績次第であったようです。

ただし番頭になるまでに最低でも30年以上はかかったと言われています。

三井越後屋の場合

三井越後屋の場合、丁稚から「大元〆(おおもとじめ)」とも言われた番頭まで20段階があったそうです。しかも番頭になった時には、その奉公人はなんと60才を超えていたと言われています。

支配人としての佐助の手腕

佐助の昇進は早い方

以上のように「奉公人の筆頭」や「営業責任者」とも言える番頭になるまでに、白木屋では勤続30年、三井越後屋では勤続50年が必要であったことを考えると、「五鈴屋江戸店」の佐助が勤続25年程度で支配人に昇進できたことは、奉公人としては恵まれていたかもしれません。

もちろん「あきない世傳金と銀」の設定では、「五鈴屋江戸店」は後発の小店(こだな)で奉公人が3人しかいないため、佐助は若くして昇進できたという側面もあるでしょう。

佐助は「五鈴屋江戸店」の年間売上を3年で銀一千貫に

しかし、「五鈴屋江戸店」は開業して1年目の1752(宝暦2)年には年間の売上は銀一千貫(20億円)を記録しており、既存の「五鈴屋江戸店」と「五鈴屋高島店」と肩を並べる存在となっています。

「五鈴屋江戸店」には開店前には何の顧客基盤も持たず、店前現銀売り(たなさきげんぎんうり)で始めた店であることを考えると、番頭としての佐助にはなかなかの商才があったと考えても良いでしょう。

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