江戸時代における男性奉公人のキャリア
「番頭→手代→丁稚」という序列
NHKBS時代劇「あきない世傳(せいでん)金と銀2」は大坂天満の呉服屋・五鈴屋を舞台としています。この五鈴屋に7人の奉公人たちがおり、それぞれに序列があります。
- 番頭(ばんとう): 鉄助
- 手代(てだい): 佐七・末七・広七
- 丁稚(でっち): 安吉・辰吉・賢吉
「あきない世傳(せいでん)金と銀2」は江戸時代の物語ですから、商家も封建的で主筋と奉公人の区別は絶対的なものですが、奉公人の序列も、「番頭→手代→丁稚」の順にきっちりと決められていました。
今回の記事では「あきない世傳(せいでん)金と銀2」のドラマを構成する1つの要素である、奉公人たちのキャリアについて考察します。
丁稚(でっち)とは
丁稚の採用について
丁稚とは商家においてまだ見習いの身分の者のことを指します。その商家がある近隣の農村にいる、その家の次男以下の男の子で、奉公に上がるのは10才前後とされていました。彼らの教育水準は寺子屋で初歩的な「読み書き算盤」ができる程度です。
丁稚が「見習いの子ども」といっても、雇い入れる商家は20~30年先まで働いてもらうことを想定しています。よって商家は丁稚を雇い入れる際、紹介者から「請状(うけじょう)」と言われる、保証書を差し入れてもらっていました。
なお「あきない世傳(せいでん)金と銀2」では丁稚として五鈴屋に奉公に上がると、それまでの名前が一部削られ、名前に「吉」の字が付けられます(例:「賢輔」→「賢吉」)
丁稚たちの給料事情
丁稚は「見習い」とみなされていますので、現銀(現金)で給料を受け取ることはありません。代わりに衣食住が現物支給されます。
着物については「仕着せ(しきせ)」と呼ばれる商家ごとの制服が与えられます。また食事については朝・昼・夕の3食を主家から支給され、住居について住み込みとなっています。
ちなみに「仕着せ」とは、「上から一方的に与えられるもの」という意味で現代でも使われる「お仕着せ」という言葉の語源です。
丁稚たちの福利厚生
衣食住以外に丁稚のために支給される福利厚生としては、教育・医療なども用意されていました。彼らはまだ難しい漢字の読み書きや、そろばんを使った複雑な計算はまだできない段階で奉公に上がります。
そのため店の番頭など先任の手代などの年長者が、「商売往来」など商人のための教科書を使って、その商売に必要な漢字の読み書き・商品知識・複利計算・ビジネスマナーなどを教えていました。この頃の商家は今でいう「商業高校」の役割も担っていたと考えられます。
また江戸時代の医療は、今と比べものにならないくらい高価なサービスでした。そのため余裕のある商家では丁稚が病気になった場合、医療費も代わりに負担していたようです。
丁稚の仕事内容
丁稚は「見習い」ですので、まだ客と商談することは許されていません。彼らの日中の仕事は雑用で、店先や店内の掃除・商品の運搬・その他力仕事などのいわば「雑用」です。
また番頭や手代が客と商談をしていて蔵にある反物を見せる必要がある時でも、彼らは丁稚の名前を使わず単に「子ども」と呼ぶだけで反物を取ってこさせたりします。
丁稚たちの休日・休暇
10才前後の子どもが突然、見知らぬ家に放り込まれるわけですから、最初は実家に帰りたくて仕方がなかったでしょう。しかし丁稚たちが実家に帰ることを許されるのは、「薮入り」と言われる盆と正月の時期だけです。
商家によっては毎月1~2回程度の休みがあったところもあるようですが、丁稚たちは遠くから奉公に上がっているため、実家に帰る時間的余裕はありませんでした。
手代(てだい)とは
手代の仕事
丁稚として10年ほど真面目に働くと手代に昇進します。早い者は17〜18才で手代になれたと考えられます。
手代は商家の奉公人として正式な存在として認められるようになります。仕事の面においては、羽織を着て店頭で顧客と商談をすることが許され、私生活の面では飲酒や喫煙をすることが認められるようになります。
「あきない世傳(せいでん)金と銀2」では手代に昇進すると名前が変わります。丁稚に与えられた「吉」の字がとられ、代わりに「七」の字が与えられます(例: 「賢吉」→「賢七」)
結婚を許されなかった手代たち
ただし丁稚が手代に昇進しても住居は住み込みのままで、さらに結婚は許されていませんでした。手代が商家の中で正式な従業員として認められるようになっても、まだ一人前の存在とはみなされていなかったのです。
番頭(ばんとう)とは
番頭は営業責任者
手代になった後、10年以上働き、優秀な従業員として主人から認められると番頭に昇進します。番頭は奉公人として最高位であり、手代・丁稚たちをまとめる営業責任者ということになります。
「あきない世傳(せいでん)金と銀2」では手代から番頭に昇進すると、名前の中にある「七」の字がとられ「助」の字が与えられます(例:「賢七」→「賢助」)
ようやく結婚を許される「通いの番頭」
番頭になると商家の中で番頭専用の部屋を持たせてもらえることはできます。しかし結婚をするためには、住み込みではなく、別に家を借りる必要があります。
「通いの番頭」になるためには、さらに主人からの信頼を得る必要があり、番頭に昇進したあとも数年を要します。ここから推測すると男性の奉公人たちが、実質的に結婚できるようになるのは早くても30才過ぎになります。
「通いの番頭」から「別家」となって独立開業
「通いの番頭」となり、結婚をして所帯を持つことになった奉公人にとってのゴールは「別家(べっか)」です。「別家」とは長年勤めた奉公人が、主人から元手銀(退職金)を受け取り、のれん分けをしてもらうことでいわば独立開業のことです。
「別家」と似た概念に「分家(ぶんけ)」という考えがありますが、こちらも一種ののれん分けですが、のれんを分ける対象が奉公人ではなく、主人の兄弟たちに分けるという行為です。