あきない世傳金と銀2 店前現銀売りと呉服太物商 幸の新しい商売

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大坂から江戸に舞台が移るあきない世傳金と銀2

五鈴屋の新しい商売

NHKBS/BSプレミアム4Kで2025年4月6日から放送される「あきない世傳(せいでん)金と銀2」では、作中で物語の舞台が大坂から江戸へと徐々に変わっていきます。

五鈴屋の七代目当主となった主人公・幸(小芝風花)は、浅草・田原町に「五鈴屋江戸店」を新しく開業するにあたって、大坂天満ではやらなかった新しい商売を始めます。

それが店前現銀売り(たなさきげんぎんうり)呉服太物商(ごふくふとものしょう)です。

店前現銀売りと呉服太物商

店前現銀売り(たなさきげんぎんうり)とは

店前現銀売り(たなさきげんぎんうり)とは、一言で説明すると現金商売のことです。

現代の日本で私たちはコンビニ・スーパーマーケット・百貨店などの小売店に行って買い物をすると、店内で現金を支払って商品と交換しますが、店前現銀売りとはまさにそのことを指します。

店前現銀売りの対となる言葉が、屋敷売り(やしきうり)と見世物売り(みせものうり)です。どちらも顧客の家で行う掛売りのことで、前者は反物そのものを掛売りをすること、後者は仕立て上がりの着物を見本として反物を掛売りすることです。

現代の日本であれば百貨店の外商営業が、屋敷売りと見世物売りに相当するでしょう。

呉服太物商(ごふくふとものしょう)とは

呉服太物商(ごふくふとものしょう)の「呉服太物」とは「呉服」と「太物」を合わせた合成語です。「呉服」とは絹織の反物のことを指し、「太物」とは綿織・麻織といった絹と比べて繊維が太い糸で作られた反物のことを指します。

呉服太物商とは「呉服」と「太物」の両方を商っている商家のことになります。

大坂の呉服仲間について

江戸時代享保・元文年間 大坂における呉服商

「あきない世傳 金と銀2」が言う、幸の新しい商売とはこれらの店前現銀売りと呉服太物商のことを指しますが、果たしてこれらのどこが新しい商売なのでしょうか?

店前現銀売りのような現金商売は、現代の日本人では当たり前のことです。また呉服太物商にしてもただ「絹織物・綿織物・麻織物」を扱っている店というだけに過ぎません。

「店前現銀売りと呉服太物商が新しい商売である」という意味を理解するためには、「あきない世傳 金と銀2」の時代背景となっている、江戸時代中期の享保年間や元文年間の時代に、大坂の呉服商はどのような商売を行なっていたのか知る必要があります。

大坂呉服仲間と天満呉服仲間

江戸時代中期、大坂三郷と呼ばれた大坂市中「北組」・「南組」「天満組」と3つの地区に分かれており、呉服仲間(呉服商の同業者組合)は「北組」と「南組」の大坂呉服仲間と、「天満組」の天満組呉服仲間の2つがありました。

大坂呉服仲間も天満組呉服仲間も、地域の同業者同士で商売の方法を決めており、その中には「店前現銀売り」か「屋敷売り・見世物売り」かという決済の方法から、販売する織物の種類まで決められていました。

店前現銀売りは大坂呉服組合だけOK

まず店前現銀売りに関しては、大坂呉服仲間と天満呉服仲間では見解が異なります。

大坂呉服仲間では、従来からあった屋敷売り・見世物売りに加えて、店前現銀売りの決済も認めていました(ただし1つの店が両方の決済を取り扱うことはダメ)。

それに対して天満呉服組合は、店前現銀売りについて神無月二十日(11月20日)の「誓文払い」以外は認めません。天満組呉服組合に所属する呉服商は全て屋敷売り・見世物売りだけです。

呉服太物商は大坂呉服組合も天満呉服組合もダメ

次に呉服屋や太物といった異なる種類の織物の取り扱いです。大坂呉服組合・天満組呉服組合を問わず、呉服商は絹織物だけを取り扱い、綿織物や麻織物を取り扱うことは御法度でした。

逆に大坂市中の太物商は呉服商を兼ねることもありません。つまり江戸時代中期の大坂には正規の業者としての「呉服太物商」という業種は存在しなかったのです。

天満呉服組合に所属する五鈴屋

天満にいる限り店前現銀売りも呉服太物商も不可

「あきない世傳金と銀2」で幸が七代目当主となる「五鈴屋」は、天満菅原町に本店がある天満組呉服組合に属する正規の呉服商です。

「五鈴屋」は大坂天満で商売をする限り、店前現銀売りの支払い方法を採用することもできませんし、絹織物に加えて綿織物・麻織物を扱うことはできません。

「五鈴屋江戸店」は店前現銀売りも呉服太物商もOK

しかし、そんな「五鈴屋」が江戸で商売を始めるとなるとどうでしょうか?実は店前現銀売りという支払い方法も、呉服太物商という業種も特に問題はありません。

「五鈴屋」は江戸に顧客を持っていないとため、「屋敷売り・見世物売り」といった信用商売を始めようがないという事情もありますが、江戸が京・大坂の上方と比べて新興の都市であり、決まりごとそれほどうるさくなかったという時代背景もあるでしょう。

また「呉服太物」という業種についても、店前現銀売りがそうであるように、異業種間での縛りも緩かったと考えられます。

幸の根回し

もっとも五鈴屋の幸が取った手は堅く、浅草田原町にあった「白雲屋」という太物商が居抜きの店を売りに出していることを見つけて、そのまま「五鈴屋江戸店」とします。

しかも天満組呉服組合には江戸に限って「店前現銀売りの呉服太物商」を始めるとして了解を取り付けています。

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