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あきない世傳金と銀の柳井道善とは
「薮医同然」の柳井道善
NHKBS/BSプレミアム4Kで2025年4月6日から放送される「あきない世傳(せいでん)金と銀2」の大坂編に主人公として登場する人物に、秋野太作さんが扮する柳井道善(やないどうぜん)という男性がいます。
柳井道善は五鈴屋にとってのかかりつけの医師です。お店の人の脈を常に取り続けてきました。ただしかなり高齢の人物で、往診に来るときは息も絶え絶えな様子から、「やないどうぜん」の名前を引っ掛けて「薮医同然(やぶいどうぜん)」ともあだ名されています。
西洋医学と東洋医学
柳井道善は東洋医学の医師(漢方医)
柳井道善は東洋医学の医師として五鈴屋と五鈴屋に関わる様々な人たちを診察してきました。
- 卒中で倒れた治兵衛(舘ひろし)
- 頭を強打した豊作こと四代目徳兵衛(渡辺大)
- 心臓が弱りむくみが出てきた富久(高島礼子)
- 卒中で倒れた桔梗屋孫六(吉見一豊)
- 智蔵との間にできた赤ん坊を流産した幸(小芝風花)
- 積聚の智蔵(松本怜生)
現代の日本人は国民皆保険制度のもとに西洋医学・東洋医学の2つの観点から医療サービスを受けることができます。
しかし「あきない世傳金と銀」シリーズの時代背景となっている18世紀前半の江戸時代、どんなに裕福な人や高貴な身分の人でも、ほとんどの場合において医療は東洋医学の観点からしか、医療を受けることはできませんでした。
西洋医学と東洋医学の比較
西洋医学は即効性があり病気の原因を直接治療するという考え方に対して、東洋医学は体全体の調和を大切にし、ゆっくりと根本から治すという考え方を取ります。
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西洋医学 | 東洋医学 | |
---|---|---|
基本概念 | 臓器や細胞レベルで病気を特定し、科学的・実証的に治療 | 体全体のバランス(気・血・水、陰陽、五行説)を重視 |
診断方法 | 血液検査、画像診断(CT、MRIなど)で病変を特定 | 四診(望・聞・問・切)を使い、体質や全体の状態を診る |
治療法 | 薬物療法、手術、放射線治療など即効性のある治療 | 漢方薬、鍼灸、気功、食養生などで体質改善 |
アプローチ | 病気そのものを治す」ことを重視(短期的治療) | 「原因の根本改善」を重視(長期的治療) |
特徴 | 科学的根拠に基づき、病因に直接アプローチ | 自然治癒力を高める、体全体のバランスを整える |
江戸時代における西洋医学の発展
柳井道善の時代の前から日本に西洋医学はあった
江戸時代における「西洋医学」という杉田玄白・前野良沢らが、1774(安永3)年に著した「解体新書」を思い起こす方がいらっしゃるかもしれません。
しかし「解体新書」の出版以前にも当時の日本で唯一海外貿易が認められていた長崎を経由して、西洋医学の1つとしてオランダ医学が伝わっていました。
以降では、「あきない世傳金と銀」のシリーズで、柳井道善が活躍した時代前後の、西洋医学の歴史について解説します。
1. 17世紀前半(江戸時代初期):長崎経由でのオランダ医学の伝来
オランダ医学の流入
- 1639(寛永16)年に鎖国政策により海外との交流が制限されるが、唯一オランダとの交易が長崎・出島を通じて許可される
- オランダ商館の医師から西洋医学が伝えられる
- 西洋医学は「紅毛流外科」(オランダ人=紅毛人に由来)と呼ばれ、主に外科手術や薬学 が中心だった。
代表的な人物
- 山脇東洋(1705-1762)は1758(宝暦8)年に日本で初めて人体解剖を行い、『蔵志(ぞうし)』を著します。しかし中国医学(漢方)の影響が強く、西洋解剖学の理解は不完全。
2. 18世紀(江戸時代中期):西洋解剖学の導入
「解体新書」の出版(1774年)
- 杉田玄白・前野良沢 らがオランダ語の解剖学書『ターヘル・アナトミア』を翻訳し、日本初の本格的な解剖学書「解体新書」を出版。
- 「解体新書」の出版により日本において西洋解剖学が急速に普及し、人体の構造に対する理解が向上する。
- しかしこの時点ではまだ臨床医学(診療や治療)は西洋医学に大きく依存していなかった
蘭学の発展
- 「解体新書」をきっかけに、蘭学(オランダ学問) が全国に広がる
- 長崎でオランダ医師から直接医学を学ぶ医師が増え、「蘭方医」(西洋医学を学ぶ医師)が登場
3. 19世紀前半(江戸時代後期):臨床医学・内科治療の普及
緒方洪庵と適塾(1838年)
- 緒方洪庵(1810-1863) は、オランダ医学を学び、1838(天保9)年に「適塾」(大阪)を開設
- 適塾は日本全国から学者・医師が集まる場となり最新のオランダ医学を学べる最高の教育機関となった。
- 適塾の門下生には、福沢諭吉、大村益次郎など明治維新後に活躍する人物が多い。
オランダ内科医学の導入
- それまでの西洋医学は「外科中心」だったが、19世紀前半から内科医学(診断・治療)の知識も普及。
- 日本人医師がオランダ語の医学書を翻訳し、西洋医学の理論に基づいた治療が可能に。
4. 19世紀半ば(幕末・明治維新前夜):西洋医学の主流化
西洋医学の公認
- 江戸幕府は、それまでの「漢方医学中心」の政策を改め、西洋医学を正式に採用
- 1857(安政4)年に「幕府医学校」(のちの東京大学医学部の前身)が長崎に開設される
- ポンペ(オランダ軍医) が教師となり、日本人医師に西洋医学を教える
ドイツ医学の導入
- 1850年代以降、フランスやドイツの医学書も日本に伝わる。
- 明治時代に入ると、オランダ医学に代わり、より近代的なドイツ医学(ベルリン大学系)が主流となる。