江戸の町政の末端実務を担った人たち
治安維持のための同心・与力は少なかった
以前、江戸時代における江戸の治安に関する記事を書きました。これらの記事を読むと、現在の警視庁の警察官に相当する与力・同心といった町人地での治安を担当する武士の数は少なく、町方が自治的に町内の秩序や治安を保っていたことが分かります。
今回の記事では江戸の町人地における町政の実務を担った町名主(まちなぬし)・地主(じぬし)・家主(やぬし)といった人たちの仕事についてご紹介をします。
町名主とは
町名主とは何者か
町名主は町人身分でありながら、町奉行や町年寄のもとで民政の実務を担う役職です。町ごとに置かれ、次のような仕事を担っていました。
- 軽微な喧嘩沙汰や訴訟の調停
- 町入用の管理(町の運営経費)
- 町方人別帳の作成と管理
- 町触れや通達の伝達
- 町内秩序の監督と維持
町名主はおよそ住民2,000人を基準として管理し、1人で複数の町を管理する者もいました。町人身分であるが故に屋敷に玄関構えは許されていませんでしたが、幕府は黙認して自宅で町名主の業務を専任していました。
なお町名主の給与は町入用の中から賄われ、不動産売買での謝礼や請願書作成の手数料による収入もあったようです。
町入用の使途
もちろん町入用は町名主の報酬を賄うためだけのものではなく、次のようなことに使われていました。
- 町施設の維持(自身番、木戸、火の見櫓など)
- 清掃や街路修理、年中行事の費用
町名主の格
「町名主」と一口に言っても以下の種類があり、それぞれの歴史的背景に応じて以下の4つに区別されていました。
名前 | 説明 |
---|---|
草創名主 (くさわけなぬし) | 徳川家康が江戸に入る前から存在していた最古参の名主 |
古町名主 (こちょうなぬし) | 元和・寛永期(17世紀前半)に成立した町の名主 |
平名主 (ひらなぬし) | 江戸の都市拡大に伴って増加した一般的な名主 |
門前名主 (もんぜんなぬし) | 寺社の門前町を担当し、宗教施設との調整役を担った名主。 |
地主と家主(大家)
町を支えた地主・家主
町政の基盤となる居住と不動産の管理は、地主と家主によって構成されていました。
名前 | 役割 |
---|---|
地主 (じぬし) | 土地の所有者。町屋敷の土地そのものを保有し、貸し出して収益を得る |
家主 (やぬし) | 地主から借りた土地に長屋などを建てて、住人から家賃を徴収する建物の所有者。または地主に代わって長屋の管理をする者も家主といわれた |
地主は徳川家康が江戸に入府した時からの商人が江戸の都市開発に協力して土地を与えられた者で、1791(寛政3)年には約1万9,000人いたとされています。
家主は同時期に約1万7,000人がいたとされています。家主になるためには家主株が必要で、その株は場所によって三十両から二百両が必要であったといわれています。
なお家主は地主の敷地内に無料で住むことができ、地主から家賃の5%を与えられ、管理する長屋の下肥を百姓に売った収益は自分のものにすることができました。
月行事と五人組
町政の実務を回すうえで、日常的に重要だったのが「月行事(がちぎょうじ)」と「五人組(ごにんぐみ)」の制度です。
名前 | 役割 |
---|---|
月行事 (がちぎょうじ) | 大家の中から月ごとに選ばれ、自身番に詰めて町内業務を担当。 |
五人組 (ごにんぐみ) | 軒の家で構成される相互監視と助け合いの制度。 |
このうち五人組を組織するのは家主の仕事です。五人のうち1人が交代制で月行事として町政の実務にあたります。その仕事には以下のようなものがあったといわれています。
- 地主に代わって長屋住まいのものから家賃を徴収
- 町内の治安維持や警備
- 法令伝達
- 住民の誕生・死亡・移動があった場合に人別帳への書き込み
- 道の修理や火の番
- 夜回りの監督
- 事故の立ち会い
- 火事現場での初期対応
これらは全て町政に関わる雑務で、家主は実務の末端を担っていたと言えるでしょう。
店子の失態は家主の失態: 連座制による統制
家主は落語の噺では「大家(おおや)」と言われ、店子に口やかましく説教する爺さんのイメージがあります。しかし大家がしょっちゅう小言を言うのは、店子が賭博や淫売、失火などの犯罪に加担すると、家主は連座して過料や押し込みの罰を受けることになります。
そのため彼らは日常的に店子と接しながら、必要に応じて困りごとなどの相談に乗ってやり、決して犯罪を起こさぬよう気を配る必要があったのです。
たった26人の同心で江戸の治安維持ができた理由
江戸時代の江戸において町方の人口は約50万人で、町人が住むことが許されていた町人地は江戸市中の20%ほどです。
現代の東京都の規模と比較すると、江戸町奉行所の治安維持を担当する与力・同心の数が少なくても済むことは理解できますが、それでも江戸南町奉行所・北町奉行所それぞれからの、町廻の同心13人(定廻・隠密廻・臨時廻)で50万人の治安を維持することは無理があります。
それでもなお江戸の町が平穏に保たれていたのは、こうした町名主・地主・家主といった役割を受け持つ人物たちと、月行事・五人組といったシステムが機能していたからでしょう。